フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した『文化資本』という考え方は、日本のお受験事情にもぴたりと当てはまります。
ハーバードでも東大でもオックスフォードでもよいですが、難関大学に合格する子どもとそうでない子どもの差はどこにあるのでしょうか。
それは、3つの『文化資産』の有無です。
文化資本とは、絵画・楽器・本・骨董などのいわゆる知的財産、日常の振る舞いや生活習慣、美的センスのような親から知らずに引き継いだ価値観、そして学歴や資格のような制度、の3つです。
これらは、塾や学校で身につくものではありません。個々の家庭で無意識にまたは意識的にこどもに伝わるものです。『いい塾に通うお金がないから、私立一貫校に行くお金がないから」難関大学に入れない、格差社会だ、などという意見もありますが、それは違います。
お金は直接『東大対策英語講座」や「ハーバード対策英語」に使われても何の意味もありません。そういう講座に通っていて合格している生徒さんは、通ってなくても合格します。それを知らずに、だれもがこぞって「〇〇対策」に直接お金という資本を投下しつづけるのは間違った使い道です。
お金という資本は巡り巡って、家庭での「文化資本」、つまり『お金で直接買えない、長年かかって蓄積しなければならない教養』に使われてはじめて難関大学への合格が視野にはいってきます。合格が目標でないのはもちろんです。
このようなことは都市部では『文化資本』の有無で合格・不合格が決まるように見える私立小学校、中高一貫校があるのでわかりやすいのです。
大分のような地方にはそのような『フィルタリング』機能となる私立小、中高一貫校、が皆無です。それにもかかわらず都市部をまねて『中学受験』をしようとしても、大学受験になった段階でそのフィルタリングが幻だったことがわかります。大分県から東大に合格するのは10人前後だからです。
そのテストを10点あげるためにこなす問題集をやめて、読書はどうですか。本には、自分が1からやらなくても誰かが考えてくれた知恵が詰まっていますよ。
冬期講習の費用を使って『ボランティア』に出かけませんか。新しい出会いがありますよ。
宿題の途中でパソコンをいじっているとおこられるなら、いっそ堂々と『前田ブロック(プログラミング言語)をやりませんか。
街の合唱団やオーケストラが団員を募集していませんか。一緒に音を出すと不思議な力が出ますよ。
家庭が子どもの教育環境をつくっていること、「がんばれば夢がかなう」はウソかもしれないこと、この当たり前の前提を認めた上で教育問題に取り組まないと子どもには失望と挫折感だけが残ります。大人は本当のことを言いましょう。